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イベント多すぎ

だれがどーいう仕掛けをすれば、これだけ重なるのかっつーくらい重なるのが、ハコダテのイベント事。

その数ったら、そりゃなんだか凄い数ですよ。
○はこだて花と緑のフェスティバル/道南四季の杜公園(25~26日)
 →うちの職場が実行委員会に入ってます。
○キャンプ&シーニックラリー/はこだてオートキャンプ場(25日)
 →うちの青年部のメンバーが中心になって開催されてます。
○北ガス展/棒二森屋(24~26日)
 →自分の弟の会社のイベントです。
○函館地区吹奏楽祭/函館市民会館(25~26日)
 →吹奏楽部出身としては忘れちゃならないイベントです。
○北海道教育大学函館校学園祭(25~26日)
 →このところ毎年お笑いタレントが来るので要チェックです。
○どさんこフェスタin函館/緑の島(26日)
 →スタッフとして参加です。

これに加えてご存じの通り函館競馬も開催中。

さすがのイベント大好き我が家でも、全ては巡回不可なのであります。
ぜんぶ一カ所でやったら、さぞ大きなインパクト&集客力のイベントになると思うんですけどねぇ。これだけ重なると、協賛金を重複して負担してる企業も多いでしょうし、一つにまとまってくれたほうが企業にとっても広告協賛の効果が高まるわけですから。

ってことで、25日は親戚宅訪問からはじまり、まずは花と緑のフェスティバル。このイベント、シーポートプラザを会場にしていた時代に比べれば確かにいいロケーションなんですけど、会場は正直広すぎ。昼食途中に小雨にあたってしまい、じっくり花を見て歩く余裕もなくさくさくと会場を後にしたのでありました。
途中買い物して一端帰宅、子供と自分は昼寝を挟んで、夜の部へ備えます。

その夜の部は夕方の北ガス展からスタート。支店長さんと話し込んだりしつつ、会場のデパート内でお祝いものを購入して実家へ。東京から親戚が結婚報告にやってきて実家で宴席なのでありますが、ほぼ同じ時間帯に別の親戚の結婚披露宴も重複してしまい、自分は親戚代表としてひとり披露宴へ出席するため国際ホテルへと向かいます。殆ど知り合いのいない披露宴に硬い表情で参加しつつ、終了後再び実家に戻り家族をひろって帰宅。

で終わらないのが我が家で、車を置いて自転車に乗り換えいつものbarへ向かい、まちづくり仲間との怪しい会議に臨み、25時の帰宅でありました。

26日は早起きしてどさんこフェスタの仕込みから参加。天候にも恵まれ初開催としてはいい感じのお客さんの入り込み具合に一安心。昼過ぎに一足早く上がらせて貰い、親戚宅を経て家族と買い物の後帰宅。日焼けアトと闘いつつ風呂に入り、眠気と闘いつつblogを書いております。

つか、早く寝ろ俺。

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サマータイムとクールビズ

何でも屋のわたしたちゃ、なんでも率先してやんなくちゃならない使命があったりします。

と思っていてもなかなか動かないのが組織というもので、北海道サマータイム実証実験2年目の今年も、我が職場は実験参加を見送っております。そこで私は昨年に引き続き今年も「ひとりサマータイム」。

ごぞんじない方に解説いたしますと、ひとりサマータイムってのは、職場がサマータイム実験に参加しないかわりに、自分のあそび心でその理念を実践しようということで、ついつい手掛けてしまう他人領域の仕事に絡む居残りを一切排して終業5時15分きっかりに職場を出るというキャンペーンであります(^_^;
サマータイム本来の趣旨は「余暇時間を活用し経済振興に寄与する」なんですが、自分の場合は呑みに出るとか家族でレジャーするとかいう金銭的余裕が少ないので、そのかわり期間中は徒歩で25分かけて帰宅し、電車賃+300円で500円貯金をすることとしています。
加えて、去年は早く帰宅するだけだったんですが、今年は「早起き」も実践してみようかと。
てな具合で夏至の20日から今年の実験はスタートしたのでありました。

んでもって早起きした今日21日。いつもと違ってゆったりと北海道新聞朝刊を読んでおりました。

んっ!?
目にとまったのは、うちの職場がサマータイム実験を今後検討していくという記事。へぇ~。いつのまにか内部検討してたんだぁ~。でもどーして、そのことを新聞記事で初めて知ることになるんでしょうねぇ。小さな職場なんですけど。なんだかねぇ~。

一方のクールビズは7月中に実施になるかもしれない気配なんですが、早起きするだけでいいサマータイムと違って、こっちは私服を買いそろえる必要があったりとお金がかかる話なんで、そう喜ぶわけにもいかないんです。温暖化防止でエアコンの設定温度を高くするのが本来の趣旨ですが、北国はワイシャツ&ネクタイでも夏は乗り越えられるし、第一うちのビルって電気よりも環境効率の良いガス冷暖房だし(来年には天然ガス転換されるし)。

てなことで、新しい発想と実践は大事なことなんですが、自分も含めまして職員それぞれ、いろんなお考えがあるようで、スムーズに合意形成できないのが悲しいところ。。

って、ちゃんと内部で協議する場があればすぐまとまるよーな気がしますけどね。
ん~寒い。まさにクールビズいらず。

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まちの中心考

あるコミュニティで、函館の中心地はどこだという話題になって、意見交換されてました。

ひとくちに中心地と言っても定義が曖昧な状態で話が進んでいくので、もちろん意見もばらばら。
中心地の定義には、若者の遊び場・夜の飲み屋・商業店舗の多さ・交通拠点・シンボル建造物の有無、いろいろあてはまっちゃいますし。

函館の街は市街地の郊外化に伴って繁華街が移動していった歴史があります。明治~昭和初期の弁天・十字街に始まり、戦後から昭和50年前半あたりまでは函館駅前、昭和50年代後半から本町・五稜郭、昭和60年代に入ると美原地区。平成に至っては上磯・昭和地区など、商業地域の拡散はとどまるところがありません。

という事実はもちろんあるにしても、「これからは上磯だ」「新幹線新駅の大野が栄える」「五稜郭でさえもうやばい」という「既存中心街悲観論者」さん達がこの街に多いのは、街の行く末を案ずる上で大きな問題でもあります。

魅力がないから(中心街に)行かない=だから必要ない、というのは、自分たちの暮らす街への思いが小さいように思うんです。そういう人達はいつも「この街は面白いところがない」と嘆いているだけでして、自分たちの街をつくっていくのは自分たちであるという意識が薄いように思います。

旧市街地は土地が高い・狭い・汚い・人間関係が煩わしい・親と同居したくない、そんな理由で核家族化や住宅の郊外移転が進んでいった歴史があるのですが、21世紀の今、歴史は既に転換点を迎え、東京23区の人口は増加に転じ、札幌市中央区も増加に転じています。全国の行政機関では「まちなか居住」や「コンパクトシティ」を提唱し、様々な推進施策を実践し始めています。僕自身も、この街の「まちなか居住」や「移住促進」を推進するグループとの関わりの中で、出来ることはひとつひとつやっていきたいですし、そんな思いで今回の記事を書いてます。

中心街はそこに暮らす人々の、住む上での心のよりどころであってほしいし、どうすれば楽しい街になるかも、市民ひとりひとりが考えていく必要があると思うんです。
21世紀は、住環境としての既存市街地が見直され、旧市街地のあり方が見直されていく時代となる、自分はそう信じています。

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男はバス停で襟を立てた

って、映画のタイトルパクリなんすけどね。
女はバス停で服を着替えた

4月の異動によりまして外勤が多くなって、車なりバスなりで営業に歩いております。
表題は先日街角で見かけた光景でありまして、場所は上磯町七重浜。

信号待ちで止まった交差点の少し先左側に、バス停があります。
なにげに視界にとまった一人の男。黒っぽい出で立ちで短髪白髪の初老の男は高倉健を彷彿させる雰囲気があります。どうやら待ちくたびれたとみえて、バスがやってくる方向のこちらがわをじーっと見つめているのがわかります。遠くまで目をやってもやはりバスの姿がなかったのか、すっとジャンパーの襟を立てたのでした。

たとえば、たまにありませんか?町でふと目にとまった人の、境遇や人生を想像してみたりすること。
自分はけっこうそうやって人間ウォッチングをすることがありまして、つかの間信号待ちの間、彼についての想像を巡らせたわけです。

平日夕方前にバスを待つ男は、免許がない。いや、訳ありで免許がなくなってしまった。工場勤めだが、不景気の煽りで今日もこの時間に早帰りだ。正社員じゃないし、仕事にありつけるだけ有り難い。この時間に帰宅したところで妻はパートで夜が遅い。国道から中に一本入った西日のあたるアパート2階の角部屋で缶ビールを呑みながら夕刊を読む。近所で交通事故があったという記事。車ってのは怖いもんだ、俺はもう乗ることもないだろうけど。そう、あれはもう15年も前の話だったな・・・・

・・・っと、信号が青になったところでイメージ終了。ギアをローに突っ込んですーっと走り始める。勝手な想像してしまってすまないね、と、バス停のおっさんに別れを告げるべく目をやると、おっさんもこっちを見ている。立てた襟のせいで鼻から下は隠れている。んっ、襟の陰に何か抱えてたんだな。何かトランシーバーにも見えるけど。

トランシーバー・・・

ふぬあぁあ!


・・・・シートベルト取り締まりだったのねん。。。。


おっさん、ずるいよ、ずるすぎだよ~。てか、上手すぎだよ~。
数百メートル先の交番前では、しっかりと警官が2人待ちかまえております。まあ、僕はベルト派なのでいいんですけど、これにはやられちゃいますなぁ。


北海道内でもことさらシートベルト着用率の悪い道南地区。2004年秋の調査では函館は道内主要都市で最低の着用率68%という不名誉な記録、しかも何年も続けて最下位継続中。これを地域性という理由で片づけるわけにもいかず、最下位脱出を目指した取り組みは各方面でしっかりと進められているのであります。
おまわりさん、ごくろうさまです。


脳天気にイメージごっこなんかする前に、事の本質を見抜く力を付けねばのぉ~、自分。
シートベルトは忘れずに。

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新聞報道より。

函館学を謳っておきながらこのところ愚痴傾向だった当blogをやや軌道修正。
北海道新幹線を巡る動きを、起工式から本日(6/14)までの新聞報道からトピックスのみ引用であります。
インターネット時代ではありますが、情報源はあくまで新聞キリヌキであります(^_^;
リンクを発見した場合は付記しときます。

5月22日北海道新聞
「北側国土交通大臣、新幹線新函館駅から国道5号函館新道を経て函館空港へ繋がる地域高規格道路『函館新外環状道路』を北海道新幹線開業までに完成させる考えを表明」。
→→新外環状道路の概要は市websiteへ。

5月23日北海道新聞
「湯の川温泉活性化推進懇談会、新幹線開業にらみ活性化計画を再策定する作業を開始」

5月24日函館新聞
「大沼観光協会、総会にて新函館駅北口整備促進を求める事業計画を承認」

5月24日北海道新聞
「新幹線建設工事、青函トンネル内の工事時間確保が課題、ダイヤ繰りの影響で貨物輸送に障害の可能性も」

5月25日北海道新聞
「函館新外環状線建設促進期成会、総会にて他の高規格道路網と併せて整備調整を行う検討委員会へ発展改組し北海道・道開発局を加える方針を示す」

5月26日北海道新聞
「七飯町、新幹線開業にらみ峠下地区の国道5号沿いに町内初の流通団地を整備する方針を固める」

5月28日函館新聞
「新幹線沿線6商工会、工事受注などを目的とする利活用推進協議会の設立を決める。既に活動している新幹線建設関連函館地区協議会とは別に活動を展開する」

6月1日北海道新聞
「大野町、新駅周辺整備に関する住民説明会を初開催、土地区画整理事業第1期は11ヘクタール」

6月1日北海道新聞
「渡島支庁、新幹線工事促進のため庁内連絡調整機関を設置」

6月2日北海道新聞
「江差建設協会、総会にて停滞傾向だった青函トンネルのカートレイン運行構想を新幹線起工契機に再び推進テーマに」
→→参考資料は東奥日報より。

6月3日北海道新聞
「東芝エレベータ、自社広報誌で函館市電延長・LRT化による函館市街地~新函館駅アクセス交通整備を提言」

6月10日北海道新聞
「鉄道運輸機構、渡島支庁で開催された庁内会議で、新函館駅での在来線乗り継ぎを同一ホームで行う『新八代方式』を計画していることを明らかに」


このあとも、いろんなところで新幹線にまつわるいろんな動きが起きていくことでしょう。可能な限りここにストックしていきたいと思います。

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始末するということ2。

で、つづき。

つまり、なんでそんなことを悩んでしまうかというと、このことが、自分たちの仕事のなかの出来事だとしたならば、どうなんだろうと思うからなのです。

自分としては、仕事ってのは整理・後かたづけ・始末するまで(引き継ぎなんかも含めて)が仕事だと思っているわけでして、忙しくて机まわりも整理できない状態で女子職員に小言を言われたとしても、しかるべきタイミングでは、きっぱりときれいにさせて頂いてます。

4月5月は、10年間担当してきた前の仕事の始末で、結構時間がかかってしまったわけですが、実は時間がかかった理由のもうひとつは、新しく担当した業務まわりの始末に、これまた時間がかかってたということ。

ってねぇ、どうして新しく担当したばかりの人間がその新しい仕事の始末をしなくちゃなんないんでしょ。。。
それがうちの職場の七不思議であります。しかも、始末するという労働に対する価値がおそろしく低い。いや、ほとんどない。そりゃまあ、上の人達に言わせれば、自分の仕事の始末くらいあたりまえの話=やってないほうがおかしい、ということなんですけど、うーん、現にまったく出来てない。

例えば各種業務の保存ファイル。
事務屋ってのは、これを引き継いでいくことで業務の流れを見て、人が変わっても処理を継続させていくわけですが、ファイルの保存場所も、整理の仕方もばらんばらんで、保存年限も定まってないものが多いから、いつ処分すればいいか誰もわかってない。倉庫に保管されているファイルよりも古い昭和50年代のファイルとかが、事務所の書棚から発掘されちゃうくらいすごい。

もひとつ例えば、共有サーバの中のフォルダとファイル。
ファイル名が不規則なんてのはよくある話。ひどいのはフォルダで分類もせずに、ただひたすら1つのフォルダに保存されている業務ファイルとか。

そして極めつけは、各種パンフレットやらガイドブックやら。
本日は棚卸しに着手いたしました。書棚に野積みになって、使った痕跡のないものまでぜんぶ引っ張り出して並べて数えると、その数およそ110種類。
F1000032
平成14年版15年版てのは序の口で、初めて目にするものまで、出てくる出てくる。大半は行政機関や関係団体から年中ばんばん送られてくる施策PR用のパンフレットなんですが、よくもまあこれだけ種類があるなというくらいあります。

で、こーいうのって元はぜんぶ税金だったり補助金なわけです。いや、作るのが悪いって言ってるんじゃないんです、必要があるから作っているわけですから。でも、なんかもったいない感が残る。

なんでかって言えば、それらを必要としている人の手にちゃんと渡っているかどうか、そこの部分が気になるわけです。

現状課題はこんな感じでしょう。
○行政機関・関係団体は、のべつまくなしにパンフレットを送りつけてくる。
○なのに、会議等で再配布しようとすると、だいたい部数が中途半端。帯に短したすきに長し。
○経費削減の折、再配布のために郵送費までかけていられない。
○保管スペースが慢性的に不足で、お客様など人目に触れる状態に陳列できない。
○人目に触れないから、大多数の職員は、こういう書類が保管されていることさえ知るすべがない。
○陳列しても、そんなにニーズがないから、数はさばけない。
○管理者が決まっていないから責任ある在庫管理がなされていない。

まあ、このあたりを言い訳にして、ほったらかしてきたんですなぁ。
じゃあ、自分が管理担当を命ぜられたとしたならば、こういう感じで「始末を付けたい」と思います。

○届いたパンフレット類は、表紙をぜんぶスキャニング。
○web上に簡易のDBを構築して、都度データを登録。表紙写真・タイトル・配布開始日(=資料受領日)・ジャンル区分・発行元を文字で登録して検索可の状態に。
○興味のあるお客さんは、必要な冊子を選択して資料請求希望ボタンを押すことで資料請求できるように。
○郵送料は会員無料、一般の方はパンフレット1部100円、冊子1部200円を郵送料として納付。

ていう仕組みを作ったら、使って貰えるかな~と小さな期待など。
ここまでやってみてホントにニーズがないのなら、最終的に資料自体作るのやめたほうがいい、という判断ができるような気もします。


泣き言を言えば、正直いろいろ自分のなかで溜まっているものがあるわけです。誰かがだらしなくしてきた仕事の始末を、誰に頼まれたでもなく、誰を喜ばせるでもなく、何時間もかけてやってるのに特にお給料になるでもなく、そういう作業です。

じゃあ、なんでそんな想いまでしてやってんのかっていえば、それは「我が職場」だからです。
「我が家」と同じ意です。

ただ、職場は他人の集まりでもあり、仕事して給料を貰ってる場所なわけですから、後始末までが仕事だという意識を育てたいし、これ以上「始末に負えない」人を増やしてはいけないとも考えております。

とはいえ、自分で後始末も出来ないような人間にかぎって、こーやって始末係を買って出る人間に対して「あいつはよけいなことをしやがる」なんて感情を抱いたりするのもまた社会の摂理なわけでして。

まあ、そーいう人のことを「始末が悪い」って言うんでしょうなぁ。
日本語って面白い。

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始末するということ

(名)スル
(1)(物事の)しめくくりを付けること。片付けること。処理。
(2)無駄遣いしないこと。倹約すること。
(3)結果。主として悪い状態についていう。
(4)物事の事情。事の次第。
(by大辞林)

このところ、「始末」について考えることがいくつか続けざまにありました。

外勤中、信号待ちの交差点でふと目にした、やたらと楽しそうに仕事をしていたゴミ収集車のあんちゃん2人組。市の委託を受けた清掃事業会社の社員さんなわけですが、ゴミを片づける仕事に誇りを持っているかのようないい笑顔が目にとまりました。
で、外勤から戻って営業車を地下駐車場に入れ、待つエレベーターの前では、ビルの清掃のおばちゃんがゴミの搬出をしてました。「すごい量だね~」なんて話をすると、彼女が一言。
「これってもともとは全部お金だったんだと思うと、もったいないもんだねぇ。」

で。
その週末は縁あって、稚内から沖縄めざしゴミを拾いながら旅する女性「おやちゃん」を我が家に泊めることとなりました。
http://www.moku-jp.com/pc/mi-go/
ゴミや環境に対する問題意識を、自分たちのスタイル、自分たちのサイズで楽しく考えて実践していこうという姿勢に、自分も深い共感を抱くところなのでありまして、一晩たっぷりと語り合った次第なのでした。
おやちゃん道中気を付けてね~。

とまあ。

人間の営みというものは、必ずゴミ(=物のくず、不要になったもの、役に立たないものなどの総称。by大辞林)を出すように出来ています。これは避けては通れない。
で、問題なのは、ゴミは自らの営みにより排出するものであるにもかかわらず、自らの手を離れた瞬間に、それを他人事に考えてしまう人間があまりにも多い、という事であります。

歩行中や、走行中の車から、空き缶・吸い殻のポイ捨て。
捨てた瞬間、4次元空間を経由して自分の頭上から振ってきたら、どうでしょう。
あるいは、「あっ落としましたよ!」と誰かに拾われたら、どうでしょう。

集合住宅のゴミステーションの、無秩序なゴミの山。
ゴミステーションが自分の部屋の玄関の前だとしたら、どうでしょう。

某国では、ゴミを片づける仕事に就く人間に仕事を与えているんだ、そのぶんの税金は払っているんだと言って、平気で街角にゴミを捨てる文化があるんだそうで。なんだか心が貧しいような。

ゴミ収集を「仕事」と考えたとき、そこに発生する「お金」というのは、
「片づけてくれてありがとう」という感謝の気持ちが込められたものなのか、
「この金で片づけといてくれ」という指令に対するギャランティ(保証)なのか。

悩んでしまいます。
ねむくなってきたので、次回へつづく。

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